DiaryNoteさん、ありがとうございました。

<追記>
 WordPressでちょっとしたものを始めようかな、と考えています。新しい場所はどなたにもお知らせしないつもり。まったく知り合いのいないところからひっそり始めてみたいのです。だからタイトルもハンドルネームも一新します。でも、基本、私は私でしかないので、これまでとそんなにかけ離れた内容にはならないでしょう。もしどこかで何かを見つけて「これ、こきんじゃね?」って思われたら、・・・・・そうかもしれません(笑)。ではまた!  (2022/9/25)



私は、大それたことをここにいっぱい書き散らしてきたけれど、それはそれでまったく駄目な行動だったわけではないんだろうな、と思う。
言葉の力を高めると、夢はかなう(参考:渡邊康弘さんの著書で、このタイトルの本があります)。
ここに目標を明言し、かなりのものを叶えてきた。
ここに書くことは、手元の紙のノートに書くこととはまた別の意味を持っていたのだろう。

さて、そんな自分の次なる密やかな夢も、こっそりここに書いておこうかな。
私は、いつか手記を形にしてみたいな、と思っている。
その大事な材料のうちの一部は、この日記の過去のバックアップメール。しかし、かなーり整理する必要がありそう(;’∀’)
あとは、昨日の日記の後半~最後の方で少し触れた、「新しい師によって気づくことになった、本来の物語」。こっちの方がよほどボリューミーだわ・・・・・

なんとなく、なんとなーくなんですけどね、自分の脳内イメージでは、「孤軍奮闘日記インテグラル」というタイトルの本が本屋さんの店頭に平積みされているような情景・・・
ま、夢ですよ、あくまでも夢。
整理しないといけないことが膨大だし、まだ勉強し始めたばかりの分野もあるので、10年も20年も、もっとあっても、時間が足りないような気がしますね・・・


 ******

さて、差し当たっての次の居場所についての話。
DiaryNoteの皆さん、それぞれに新しい引っ越し先を決めていらっしゃるみたいで、私も考えなくもないのだが・・・
一応、二、三の無料ブログサービスに加え、WordPressも候補には挙げながらも、若干迷い中。
そもそもいまさらそんな新しいサイト作る必要性あるのか!?という問い(昨日の日記の内容参照してください)もあるのだが、何もないとなんか寂しいんですよね、心情的にね。必要性というより愛着の問題ね。

もしも次にブログ形式のものを始めるとしたら、さすがに何かテーマ絞るかなあ・・・
書けるかどうかとか、書く時間がとかいうのはおいといて、書きたい内容は無尽蔵にあるんですよね・・・
 ・お医者さんの日記(これは面白い出来事ほど公表できないジレンマに悩むだろうな・・・)
 ・過去のいろいろを掘り起こす日記(うーん、これは上記の夢実現に向けてもっと着実なところで静かに進めよう・・・)
 ・ピアノ練習日記(私がこのテーマに絞って書いたら絶対つまらないものになる自信あり)
 ・おとぎの国の甘い生活(・・・い、いや、やめとこう・・・)
 ・ポエム(・・・だからやめようってば)
 ・写真のブログ(・・・?)
 ・読書日記的な(・・・?)
 ・罵詈雑言集(・・・?)
 ・飲酒の日記(・・・?)
 ・「あー、こう言い返せば良かったのか」「次はこう言い返したれ」というアイディアを書いていくブログ(ん、意外に悪くないかも?)
 ・自作回文と時々失敗作とどうしても我慢できなかった親父ギャグを書いていく日記(実はいちばん現実的?)
 ・・・・・

・・・とまあ、枚挙にいとまはないけれど、どれも一長一短で。
もうひとつ迷う点としては、新しい日記なりブログなり作ったとして、ここからのつながりを残すかどうか? 
実は、まったくゼロから始めてみるということにも内心魅力を感じていたり・・・

・・・と、あれこれ夢想するうちに、最終日が近づいてきた(結局夢想しているだけです)。

DiaryNoteさん、長いことお世話になりました。心より感謝いたします。
読んでくださった方、つながってくださった方、過去につながっていた方、皆様どうもありがとうございました。

新規記事が書けなくなっても、編集機能はしばらく残していただけるようなので、明日の日記はメッセージボードのような感じで置いておこうと思います。
もしかしたらいつか次の場所を書くかも。いまのところ未定ですが。

なぜこんなタイトルになるのかというと、2007年にいったん連日の長文日記を終わらせて総括の挨拶をした際に「孤軍奮闘日記インテグラルインテグラル」というタイトルを使ったことがあるから。

あのころは、現在進行形の誰の目にもわかりやすいプロジェクトがあったため、日々経験したことや思いついたことを書き殴る雑記帳風のものでもそこそこテーマ性のある日記になっていたのではないかな。
「脱出」→ 離婚調停、医学部再受験。DVサバイバーという肩書き。非常に単純明快。

インテグラルインテグラルのあと、だんだんと私の日々は正常化し、それとともに日記のテーマ性もうすくなっていったのだと思う。
それは、世界がどんどん広がりつつあることを反映しているわけであり、喜ばしいことではあった。
また、実るほど頭を垂れるとは言わないまでも、徐々に徐々に、以前のような「書き散らし」はできなくなった。
だから、一言で言ってしまうと、日記がweb上にある必然性はもうなくなってきた。そして、テーマ性のうすくなった日常のうち、一部を切り取って文章にすると、前回の日記のようなことが起こりやすい!?(んまー・・・・、2007年以前にしたって、日記に生活のすべてが反映されているわけはないんであるが・・・・)

2007年までの日記がなぜブログ形式である必要があったかというと、(これインテグラルインテグラルの時にも書いたかもしれないが)進行形のプロジェクトについての証人が欲しかったから。自分がいつか口を封じられるかもしれない緊迫感の中でもあったし、結果がわかった後で意気込みを語るような「後出しじゃんけん」的な公表を避けたい思いもあった。
「ほれ、最初からわたし言ってたぢゃん、##年#月の時点で書いてたしょ?」という具合にね。

 ******
 
さて、上述のごとく、「インテグラルインテグラル」以降、私の日々はどんどん正常化していった。学生生活も、研修医時代も、医師になってからも、それぞれの忙しさがあったし、もちろん何の困難もないわけではなかったけれど、日々充実していた(いる)。
数年前に結婚した現夫(仮称:白夫)は、あのDV元夫(仮称:黒夫)とは似ても似つかず、これまで地雷を選んで踏みながら生きてきたような自分にとっては、もったいないくらいの男性である。10歳以上年下の、どう控えめに見ても素敵すぎる白夫。その白夫と同居するために、私はかつて大学生活を過ごした「おとぎの国」に戻ってきた。

おとぎの国での、新しい師との出会い。
この師とは、新しい職場で偶然出会ったのだ。
出会った頃に師から聞いた言葉は「少なくともあなたがこのわたしを求めてここにやってきたわけではないということは知っています」と、まったくクッションのないコメントであったが、その後のやりとりで、短期間にたくさんのものを授けていただいている。
私は、これまでの道々で経験してきたことをつなげて、統合して、今まで気づかなかったことに気づいてしまった。いや、師との対話の中で気づかせていただいた。

私の問題は、DVの問題ではない。
その証拠に、黒夫のことは、遠い過去の思い出に落ち着いてしまっている。
黒夫は、自分にとっては必要な登場人物(役回り、というべきか)だった。いや、私がここまで来るためには、これまで私を縛っていた手枷足枷となるものを断ち切る必要があり、そのためには正しく失敗し、正しくスタートラインに立ち直す必要があった。
私は、必死で生きのばして、今、ここにいる。
 (若干気色悪い語調だ)

私は今でも「ふつうのお医者さん」になろうとして、その方法を模索中。医長という名札をつけているし、来月からは10年目の医師になるけれど、それは変わらない。
そこにこだわる理由も、ここ最近でやっと明確になった。
わたしの根底には、「ふつうのひと」への憧れがあり、そのことで、幼少時から孤軍奮闘し続けてきたのだった。


(つづく)

3つ下の日記に関して。というか、付け足し風。

やはり、このあたりのことが、自分の大きなテーマなのだろうな。
この日記のお気に入りリンクを大幅に整理したのが、2012年の春だった。中には、前々からお世話になり仲良くしていただいた方も含まれていた。当時は「好きか嫌いかではなく、別の基準で整理させていただきます」とだけ宣言して整理し、それ以上の説明をしなかったので、相手の方はびっくりされたかも・・・・・

2012年当時、医大の高学年になっていたので、日記の更新頻度は既に低くなっていた。日をあけながら、書ける内容を書ける時に書いていた。
ある日、ピアノの話題についての日記を書いたあと、「しばらく更新がなかったので忙しいのかと思っていましたが、ピアノだけは頑張っていたのですね」というコメントがついた。
私、あれをみて興醒めしてしまったんですよね。
ピアノ『だけ』って、・・・

日々、いろいろな出来事があったり、いろいろなことを考えたりする中で、何を日記に書くか、書くとしたらどう書くか、その選択によって表に出てくる表現型はさまざまに変わりうるでしょう。たとえて言うなら写真撮影時の構図や被写界深度の設定のようなもので。

日々の学生生活の中、勉強のこと、クラスメートたちとのこと、バイトのことなどもいろいろある中で、その日はピアノについての話題を掬い上げ、日記にした。しかし、頑張っているのがピアノ『だけ』だなんて、日記の読者にどうしてわかるのだろう? どうしてそんなことが言えてしまうのだろう?

たぶん、コメントの書き手には、そこまで深い考えはなかったのだろうな。
さらっと発した言葉の中に、こういう端々はごくふつうに潜んでいるのだろうな。
しかし、だからこそ余計に、・・・・・(3つ下の日記へ戻る)
(あ、この日記を遡ってみた場合の3つ下ね。左のカレンダー下のタイトルの並びが一部前後しているので、左の場合は2つ下ね。ほぼ誰も見てないと思うけど。)

 
・・・・・そんなことを、ここに来てつらつらつれづれ思い返したりして。
若干、自分のことを面倒くさい奴だなって思う。でも、今の仕事を続けられているのも、まさにそんな面倒くさい特性があったればこそ、なのかもしれない。

のちのおもひに

2022年3月24日
そろそろこの日記もサービス終了になるのですって。

この日記はたしか2003年から使い始めたと思うので、20年弱になるのか・・・

「脱出」と離婚調停、医学部再受験のあたりが、自分的には日記の全盛期で、あの頃は連日長文を書き散らしていたなあ・・・
再受験仲間さんたくさんいたなあ・・・
そのあと、ここのURLが巨大掲示板に晒されてしまったのをきっかけに他のブログサービスに逃げた時期があったけれど、居心地も使い勝手もここに勝るものはなく、またここに戻り、頻度を落として細々と書いたり間をあけたりしていた。時々来て、何も書かずに立ち去ったりも・・・
普段の近況報告は、なんとなく他に追随したSNSを使ったりするけれど、その公開範囲がどうのとかいうことで面倒くさくなったとき、この【いまではほとんど誰にも読まれていないと思われる日記】は、なんとも心地よい場所だった。

医学生になり、医師になり、責任もしがらみもいろいろ増えてきて、それとともに、書いたり公開したりすることへの自由は少しずつ減ってきたのかもしれない。
書きたいことは、今でも山ほどあるのにね。

(つづく)
最近は一人でPCに向かえる時間が少なくなってきたので、前みたいに、数ヶ月に一度くらいふらりと訪れてちょっと何か書いていくスタイルが心地よいかな。

週末や夜間の当番日、誰もいない医局で待機時間中にDiaryNoteを開くのが楽しみではあるのだけれど、実際のところは、待機といった時間はなく、ドタバタギャーギャーせざるを得ないことが多い。まあ、そういう日々を過ごせるだけありがたいということか。

ひとたび書き始めると連続して書きたくなる癖は相変わらずなのだけれど。
「単に」、「たかが」、「だけ」・・・
これらの言葉は地味ながらもかなりの破壊力のある言葉なので、使い方は慎重にすべきと思っている。

自分の話していた内容に縮尺がかけられ、「たいしたことではない」と評価されているように感じるから。そして、その延長線上には「理解してもらえていない」という寂しさがあるから。
話したことをそのままそっくり受け止めてもらったわけではない、という不消化感。

そういう言葉が加わった途端に会話がすっと冷たくなることがあるので、自分でもこの手のワードは極力使いすぎないよう心がけている。日常性の高い単語なので、無意識に使ってしまいがちではあるのだけれど。

患者さんの訴えに対する返答の中にこれらのワードが混じったら、敏感な方はすぐに察知するだろうな、と思う。

「眠れなくてつらいんです」という患者さんに対する返し方として、
「眠れないだけでしょ?」と「眠れないんですね、つらいんですね・・・」の差は歴然としているが、この例えはやや極端か?
(こっちは当直明けで一睡もしないまま仕事してますけど?とはいわないものの内心思ってなくもないのだが、まあ、そういうのはおいといて。)

「単なる不眠」という表現は不要なのだ、「不眠」と言えばいいのだ、と、そんなお話。




カルテでよく?見かける「不明言動」という言葉。
不動明王に見えるのだが、あまり周囲の共感を得にくい。
手書き文字で、いつも似たような書き間違いをする。
「処分」と書こうとしていて、「処」まで書くと、勢いで「処方」と書いてしまう、みたいな。
消したり二条線引いたりして書き直すのだが、また「処方」って書いてしまう。

言葉に関しては、自分は敏感すぎるのかな、と思っていたけれど、
患者さんに対して、自分だったら言ってほしくないと思う言葉を避け、言ってほしかった言葉を積極的に使うようにしているだけで、患者さんたちとの関係は不思議なほどうまくいく(ことが多い)。
この職種は、自身が過敏なくらいでちょうどよい(潰れない限りにおいては)。

自分自身だけの偏屈なこだわりだと思っていたものの中にも、意外に普遍性があるのかもしれない。

コロナ関連

2021年6月5日
ワクチンは3-4月にかけて接種済。まあ、副反応はあった、それなりに。
ワクチン接種の前とか後とかに関わらず、感染病棟のred zoneにもそれなりに入っている。
COVID-19どっぷりというわけではないけれど、それ関連のチームの一員なので、それなりにしっかり関わっている。

時々一人で街をうろつく。飲み屋へは一人で入る。一人で飲んで、マスターと喋ったり喋らなかったりして、一人で帰る。自分で稼いだお給料の一部は、応援したい店に落としていきたい。
でも、町に非常事態宣言が出てからは、臨時閉店の張り紙だらけ。あの店は生き延びているだろうか、と心配しながら家で白夫とビールを飲む。

必要以上に騒ぐ人たち、妙な被害者意識を丸出しにする人たち、文学者気取りになっちゃう人たち。嘆かわしいと思いつつ、自分も単に一線を踏みとどまっているだけなんだろうな、と我に返る。

いまは、静かに、やれることをやるだけです。
そして、生き延びることのできる人は、生き延びましょう。

このタイトルは、前職場の最後の年にカンファ用に作った趣味スライドにつけたタイトル。
中身を盛り込み過ぎて、(知識収集の意味での)勉強要素に乏しいけれど、宝箱のような出来栄えだったし、このタイトルも好き。
しかし、「異質性」は、もう少し別の言葉で言い換えられないものだろうか・・・
こういう特性の個人差によって世の中の見え方がかなり変わる(すなわち、同じものを見ているつもりでも、隣の人と自分とでは、それぞれ異なる風景を見ている)、ということ。
これを自覚するようになってから、いろいろなことに合点がいくようになった。
あのとき何故うまくいかなかったのか、又は、うまくいったのか・・・

パズルを解くように。物語の最後で伏線がどんどん回収されていくかのように。
いろいろなことに説明がついてしまう。

逆に言えば、こんな重要なことに、何故今まで無頓着でいられたのだろう?
断っておくが、はっきり言って、当直明けは、顔が汚いほうが何かと都合が良いんですよ、内心は。
「わたしつかれてます」アピールになりますからね。カンファで眠そうにしていても後ろ指さされにくいでしょ。

しかし、本当のところ、私は顔を洗わない当直明けの日にも、顔が汚いと言われたことはなく、下手をすると「いつも爽やかですね」とかいう変な台詞を吐かれることすらある。
これは、あれだ、今流行りの「美肌菌を洗い流さない」っていうアレとして、非常に理にかなっているという・・・

(ん、いつものメイクが下手すぎるのか・・・?)
マイ流儀はあるようでないようで、それなりにある。

例えば、仕事中、顔を洗わない。
(一見当たり前のように聞こえるかもしれないが、当直というものがあるのですよ)

当直の夜、ペアになった後輩君が「シャワーお先にどうぞ」と言ってくれるが、
「いえ、私は使わないんで」と言って後輩君に使わせる。
シャワーを浴びないだけでなく、顔も洗わない。
これは、誰から指示されたわけでもないが、初期研修時代から自然に身につけていた自分の習慣。
重症や急変患者さんが出たときに、「自分の力量不足でうまくいかなかった」というのはもちろんよろしくないが、「自分が顔を洗っていたせいで出遅れた」というのも相当気まずい。
少なくとも、あたしが一晩顔を洗わなかったくらいで、誰の命にも関わらないんで、顔を洗わない習慣くらい、たやすいです。
仮眠をとれることもありますけどね、次の日たとえ外来や面談を控えていたとしても、私は「昨日の朝洗ったきりの顔」でお仕事します、断固。

そういう流儀なの。
って、決めてしまうと、メイクが雑でも崩れていても気にしない☆正当化☆楽チン☆
なんとなーく時々書くようになった日記なので、なんとなーく新年の挨拶を。

元旦が当番だったので、朝普通に病院へ。路線バスが完全に運休しており、タクシー通勤になってしまった。密でないのが快適ではあるが。
帰りはタクシーが一台も待っていないので、諦めて雪の中を徒歩で帰る。

当番が明けてから、やっとお休み気分の時間がやってきた。
お雑煮程度のものは作ってあったし、近くのビストロのおせちやワインも用意してあったので、だらだらに過ごす。

帰省もできる状態ではないので、だらだらゆっくり過ごすしかないですね・・・

今年はどんな年にできるかな。
長身のウサギ、去年出会ったフクロウ、再開した蜻蛉との関係を大切にやっていきたい。
けど、こういう日記にどこまで何を書くかは、けっこう迷うところだ。昔みたいになんでも書けるわけではなくなった。大切なものが増えたということなのかもしれないのだけれど・・・

というわけで、全然まとまっていませんが、本年もよろしくお願い申し上げます。
パーソナルスペースについての話を続けているけれど、
まあ、何が嫌って、つまりは誰かの顔が面と向かって近すぎるところにあるということなんですよね。

満員電車が嫌いなのは、座れないとかバッグの中のサンドイッチが潰れる?(そもそも満員電車に乗る状況でサンドイッチなんて持ち歩こうとは思わないが)とか、そういうことは二の次で、人の顔が近くにあるということが第一に嫌なのだ。
それで、立っている皆さんがちょうどよく後ろ向きになっているスペースなどを見つけると、ほっとしてそこに位置することにする。
自分が座れたときに、自分の正面に人が立つと、「うわー、何故わざわざ自分の前に・・・」と内心思わないでもないが、その人が立ったまま新聞を読み始めたりすると「ありがとうございます!新聞読んでくれてありがとうございます!」と思ったりする。

今、バス通勤なのだが、高校生たちが大きいリュックを背中に背負っているのはなんとかならないのか。
リュックは前に抱えるのがマナーでしょ。
いやさ、たしかにどこに抱えても大きさは変わらないけどさ、
満員バスの車内で荷物を背負いながら立っていると、顔が近づくのよ。
顔が近づくの!
後ろが通りにくいとかいう問題ももちろんあるけれど、顔の近さが問題なんだってば!!
第一、そんなに毎日本を持ち歩かなければならない高校生活ってどういうわけ?
一日でそんなにいろいろやれるわけないと思うよー
もっと荷物減らそうよ(関係ない(;’∀’);)




新しく誰かと行動したりしたとき、「あ、この人は近すぎる人だ」「この人は大丈夫だ」というのが大体(自分の場合は1回で)わかるので、次の回からの参考にさせていただくことがある。
なぜなら、パーソナルスペースは、文字通りパーソナルなものであって、ケースによるものではないから。「今回だけはとても近い」ということは起こりにくく、だいたい、今回近すぎた人は、きっと次回も近すぎる。

では、具体例↓

病棟回診というのは、ボスや若手など、何人かで入院患者さん方のところを回って歩くので、ベッド廻りで人が密集する。その際、近すぎる人が隣にいると、非常に息苦しい。私の場合は、その時点で思考停止するので、せっかくの病棟回診も回診どころではなくなってしまう。
下っ端の時代は、これはもう仕方ない、修行だと思って頑張るしかなかった。けれど、中堅になってきた今は、ちょっとだけやりやすい。
例えば、一緒に回診する後輩が『前回の経験上、距離が近すぎた人』だった場合に、私は「どうぞ」と言って、後輩を先に行かせる。
後輩が患者さんのベッドサイドに行ったら、私はその反対側にまわる。すなわち、後輩が患者さんの左側に立ったら自分は患者さんの右側といった具合に。
これで、くっつかれることなく回診に集中することができる。
パーソナルスペースという言葉を知ったのは、いつ頃だったのかな。
少なくとも、子供時代に、そういう言葉を知らなかったし、そういう概念があるということすら知らなかった。

子どもの頃、列を作って並んでいるとき、よく他の子から「横入り」されていた。
私自身はしっかり並んでいるつもりなのに、何故か他の子が私の前に入ってくるのだ。その意味がわからなかった。
「ちゃんと並んでないのが悪いんでしょ」と言われる。
「ちゃんと並んでたもん!」と答えるが、チビだったこともあり、相手にされない。
大人たちは、そういうこきんをみて、「ノロマ」「グズ」「要領が悪い」と評価する。

今ならわかる。
あれは、パーソナルスペースの違いに由来していたのだと。
私は、「自分が不愉快にならない程度の距離」をとって並んでいたのだが、パーソナルスペース狭めの子にとっては、「すごく間が空いてる。たぶん並んでないんだろう。」という具合に見えていたにちがいない。

こういうことについて、理由を語り、説明を加えることはできるようになってきた。
しかし、自分のパーソナルスペースをうまいことコントロールしていく方法なんていうものはあるのかな。あるのならば、世の中はもっと生きやすくなると思うのだが。

たぶん、自分が何者であるかをはっきりさせるために、ここまで来たのだ。

今年出会った新しいメンターや、その周囲の方々(すなわち、今の上司たち)に、
「辛くならないの?」
と尋ねられ、そのおかげでむしろはっきりしたこと。
おぼろげな塊が、だんだんと形をなしてくる感覚。

「だって、そのために、わざわざここに来たんですから。」と答える自分。

色?形?輪郭線?

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