最近は一人でPCに向かえる時間が少なくなってきたので、前みたいに、数ヶ月に一度くらいふらりと訪れてちょっと何か書いていくスタイルが心地よいかな。

週末や夜間の当番日、誰もいない医局で待機時間中にDiaryNoteを開くのが楽しみではあるのだけれど、実際のところは、待機といった時間はなく、ドタバタギャーギャーせざるを得ないことが多い。まあ、そういう日々を過ごせるだけありがたいということか。

ひとたび書き始めると連続して書きたくなる癖は相変わらずなのだけれど。
「単に」、「たかが」、「だけ」・・・
これらの言葉は地味ながらもかなりの破壊力のある言葉なので、使い方は慎重にすべきと思っている。

自分の話していた内容に縮尺がかけられ、「たいしたことではない」と評価されているように感じるから。そして、その延長線上には「理解してもらえていない」という寂しさがあるから。
話したことをそのままそっくり受け止めてもらったわけではない、という不消化感。

そういう言葉が加わった途端に会話がすっと冷たくなることがあるので、自分でもこの手のワードは極力使いすぎないよう心がけている。日常性の高い単語なので、無意識に使ってしまいがちではあるのだけれど。

患者さんの訴えに対する返答の中にこれらのワードが混じったら、敏感な方はすぐに察知するだろうな、と思う。

「眠れなくてつらいんです」という患者さんに対する返し方として、
「眠れないだけでしょ?」と「眠れないんですね、つらいんですね・・・」の差は歴然としているが、この例えはやや極端か?
(こっちは当直明けで一睡もしないまま仕事してますけど?とはいわないものの内心思ってなくもないのだが、まあ、そういうのはおいといて。)

「単なる不眠」という表現は不要なのだ、「不眠」と言えばいいのだ、と、そんなお話。




カルテでよく?見かける「不明言動」という言葉。
不動明王に見えるのだが、あまり周囲の共感を得にくい。
手書き文字で、いつも似たような書き間違いをする。
「処分」と書こうとしていて、「処」まで書くと、勢いで「処方」と書いてしまう、みたいな。
消したり二条線引いたりして書き直すのだが、また「処方」って書いてしまう。

言葉に関しては、自分は敏感すぎるのかな、と思っていたけれど、
患者さんに対して、自分だったら言ってほしくないと思う言葉を避け、言ってほしかった言葉を積極的に使うようにしているだけで、患者さんたちとの関係は不思議なほどうまくいく(ことが多い)。
この職種は、自身が過敏なくらいでちょうどよい(潰れない限りにおいては)。

自分自身だけの偏屈なこだわりだと思っていたものの中にも、意外に普遍性があるのかもしれない。

このタイトルは、前職場の最後の年にカンファ用に作った趣味スライドにつけたタイトル。
中身を盛り込み過ぎて、(知識収集の意味での)勉強要素に乏しいけれど、宝箱のような出来栄えだったし、このタイトルも好き。
しかし、「異質性」は、もう少し別の言葉で言い換えられないものだろうか・・・
こういう特性の個人差によって世の中の見え方がかなり変わる(すなわち、同じものを見ているつもりでも、隣の人と自分とでは、それぞれ異なる風景を見ている)、ということ。
これを自覚するようになってから、いろいろなことに合点がいくようになった。
あのとき何故うまくいかなかったのか、又は、うまくいったのか・・・

パズルを解くように。物語の最後で伏線がどんどん回収されていくかのように。
いろいろなことに説明がついてしまう。

逆に言えば、こんな重要なことに、何故今まで無頓着でいられたのだろう?
断っておくが、はっきり言って、当直明けは、顔が汚いほうが何かと都合が良いんですよ、内心は。
「わたしつかれてます」アピールになりますからね。カンファで眠そうにしていても後ろ指さされにくいでしょ。

しかし、本当のところ、私は顔を洗わない当直明けの日にも、顔が汚いと言われたことはなく、下手をすると「いつも爽やかですね」とかいう変な台詞を吐かれることすらある。
これは、あれだ、今流行りの「美肌菌を洗い流さない」っていうアレとして、非常に理にかなっているという・・・

(ん、いつものメイクが下手すぎるのか・・・?)
マイ流儀はあるようでないようで、それなりにある。

例えば、仕事中、顔を洗わない。
(一見当たり前のように聞こえるかもしれないが、当直というものがあるのですよ)

当直の夜、ペアになった後輩君が「シャワーお先にどうぞ」と言ってくれるが、
「いえ、私は使わないんで」と言って後輩君に使わせる。
シャワーを浴びないだけでなく、顔も洗わない。
これは、誰から指示されたわけでもないが、初期研修時代から自然に身につけていた自分の習慣。
重症や急変患者さんが出たときに、「自分の力量不足でうまくいかなかった」というのはもちろんよろしくないが、「自分が顔を洗っていたせいで出遅れた」というのも相当気まずい。
少なくとも、あたしが一晩顔を洗わなかったくらいで、誰の命にも関わらないんで、顔を洗わない習慣くらい、たやすいです。
仮眠をとれることもありますけどね、次の日たとえ外来や面談を控えていたとしても、私は「昨日の朝洗ったきりの顔」でお仕事します、断固。

そういう流儀なの。
って、決めてしまうと、メイクが雑でも崩れていても気にしない☆正当化☆楽チン☆
なんとなーく時々書くようになった日記なので、なんとなーく新年の挨拶を。

元旦が当番だったので、朝普通に病院へ。路線バスが完全に運休しており、タクシー通勤になってしまった。密でないのが快適ではあるが。
帰りはタクシーが一台も待っていないので、諦めて雪の中を徒歩で帰る。

当番が明けてから、やっとお休み気分の時間がやってきた。
お雑煮程度のものは作ってあったし、近くのビストロのおせちやワインも用意してあったので、だらだらに過ごす。

帰省もできる状態ではないので、だらだらゆっくり過ごすしかないですね・・・

今年はどんな年にできるかな。
長身のウサギ、去年出会ったフクロウ、再開した蜻蛉との関係を大切にやっていきたい。
けど、こういう日記にどこまで何を書くかは、けっこう迷うところだ。昔みたいになんでも書けるわけではなくなった。大切なものが増えたということなのかもしれないのだけれど・・・

というわけで、全然まとまっていませんが、本年もよろしくお願い申し上げます。
パーソナルスペースについての話を続けているけれど、
まあ、何が嫌って、つまりは誰かの顔が面と向かって近すぎるところにあるということなんですよね。

満員電車が嫌いなのは、座れないとかバッグの中のサンドイッチが潰れる?(そもそも満員電車に乗る状況でサンドイッチなんて持ち歩こうとは思わないが)とか、そういうことは二の次で、人の顔が近くにあるということが第一に嫌なのだ。
それで、立っている皆さんがちょうどよく後ろ向きになっているスペースなどを見つけると、ほっとしてそこに位置することにする。
自分が座れたときに、自分の正面に人が立つと、「うわー、何故わざわざ自分の前に・・・」と内心思わないでもないが、その人が立ったまま新聞を読み始めたりすると「ありがとうございます!新聞読んでくれてありがとうございます!」と思ったりする。

今、バス通勤なのだが、高校生たちが大きいリュックを背中に背負っているのはなんとかならないのか。
リュックは前に抱えるのがマナーでしょ。
いやさ、たしかにどこに抱えても大きさは変わらないけどさ、
満員バスの車内で荷物を背負いながら立っていると、顔が近づくのよ。
顔が近づくの!
後ろが通りにくいとかいう問題ももちろんあるけれど、顔の近さが問題なんだってば!!
第一、そんなに毎日本を持ち歩かなければならない高校生活ってどういうわけ?
一日でそんなにいろいろやれるわけないと思うよー
もっと荷物減らそうよ(関係ない(;’∀’);)




新しく誰かと行動したりしたとき、「あ、この人は近すぎる人だ」「この人は大丈夫だ」というのが大体(自分の場合は1回で)わかるので、次の回からの参考にさせていただくことがある。
なぜなら、パーソナルスペースは、文字通りパーソナルなものであって、ケースによるものではないから。「今回だけはとても近い」ということは起こりにくく、だいたい、今回近すぎた人は、きっと次回も近すぎる。

では、具体例↓

病棟回診というのは、ボスや若手など、何人かで入院患者さん方のところを回って歩くので、ベッド廻りで人が密集する。その際、近すぎる人が隣にいると、非常に息苦しい。私の場合は、その時点で思考停止するので、せっかくの病棟回診も回診どころではなくなってしまう。
下っ端の時代は、これはもう仕方ない、修行だと思って頑張るしかなかった。けれど、中堅になってきた今は、ちょっとだけやりやすい。
例えば、一緒に回診する後輩が『前回の経験上、距離が近すぎた人』だった場合に、私は「どうぞ」と言って、後輩を先に行かせる。
後輩が患者さんのベッドサイドに行ったら、私はその反対側にまわる。すなわち、後輩が患者さんの左側に立ったら自分は患者さんの右側といった具合に。
これで、くっつかれることなく回診に集中することができる。
たぶん、自分が何者であるかをはっきりさせるために、ここまで来たのだ。

今年出会った新しいメンターや、その周囲の方々(すなわち、今の上司たち)に、
「辛くならないの?」
と尋ねられ、そのおかげでむしろはっきりしたこと。
おぼろげな塊が、だんだんと形をなしてくる感覚。

「だって、そのために、わざわざここに来たんですから。」と答える自分。

色?形?輪郭線?

コロナ禍の話題となると、「『新しい生活様式』が苦痛」云々の話になって「うんうん」的な流れになるので、敢えて違う切り口では話しにくい、特にSNSでは。

しかし、内心ではある意味「そう、それでいい。」と思っている自分がいる。

幼いころから、人にべたべたとくっつかれるのが苦手だった。
肌が触れ合うような密集した場所は嫌い。
誰かに真後ろに立たれるのはいちばん苦手だった。
それがパーソナルスペースというものの違いのせいだということを知ったのは、だいぶ大人になってからのことだ。

さて、そんな、パーソナルスペース広めの自分にとっては、いまのソーシャルディスタンスの普及のおかげで、生活はコロナ前よりもぐっと快適である。
誰かの吐息が首筋にかかってくる不快さもなければ、急に誰かとぶつかる危険も少ない。大柄な人から受ける変な威圧感もない。
臭いおじさんに悩まされることもないし、逆に、お風呂に入り損ねた翌日に自分の汗臭さにおどおどしなくてもいい。
とっても快適。ずっと続いて欲しい。
映画館の座席割は、今くらいのものをデフォルトとして固定化してほしい。

・・・とまあ、そんな世界観もあるもんです。

RE

2020年10月26日 SA或いは未分類
半年前から、懐かしい土地に戻っている。
この日記で「おとぎの国」と呼んでいた場所に。

頻回に引越したり、標榜する科の名前が変わったりしたので、「一体何がやりたいんだ」と思われる方も多いのかな。でも、自分にとっては、こういう経路がいちばん自然だったような気がする。山の麓からぐるぐる廻りながら頂上を目指すようなやり方が。

そういう、というかそれに似たことを、昔ここで長ったらしく、暑苦しく書いていたような気がする(気がするだけではなく、今でも手元の過去ログには文字が残ってますけどね;´∀`)

ここに戻ってくるとか、そういう大それたことを書くのも厨二再来的でちょっとどうかなーとは思うのだけれど、SNSに疲れたというか、本音に近いものを吐き出す場所が恋しくなったというか、そんな気持ちが強くなったので、この日記にも最近また立ち寄るようになった。
いい具合に過疎な感じもちょうどよい?

使い方はまだ未定ですが。
いま、私は8年目の医師なのだった。
どれだけ遠回りしながらここに辿り着いたんだろう。

いまでも、「何がご専門ですか?」と聞かれると、答えに窮してしまう。
「ただのお医者さんです。」と答えたい。
それを目指していたので。

そう、答えてもいいのかな。

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