なぜこんなタイトルになるのかというと、2007年にいったん連日の長文日記を終わらせて総括の挨拶をした際に「孤軍奮闘日記インテグラルインテグラル」というタイトルを使ったことがあるから。

あのころは、現在進行形の誰の目にもわかりやすいプロジェクトがあったため、日々経験したことや思いついたことを書き殴る雑記帳風のものでもそこそこテーマ性のある日記になっていたのではないかな。
「脱出」→ 離婚調停、医学部再受験。DVサバイバーという肩書き。非常に単純明快。

インテグラルインテグラルのあと、だんだんと私の日々は正常化し、それとともに日記のテーマ性もうすくなっていったのだと思う。
それは、世界がどんどん広がりつつあることを反映しているわけであり、喜ばしいことではあった。
また、実るほど頭を垂れるとは言わないまでも、徐々に徐々に、以前のような「書き散らし」はできなくなった。
だから、一言で言ってしまうと、日記がweb上にある必然性はもうなくなってきた。そして、テーマ性のうすくなった日常のうち、一部を切り取って文章にすると、前回の日記のようなことが起こりやすい!?(んまー・・・・、2007年以前にしたって、日記に生活のすべてが反映されているわけはないんであるが・・・・)

2007年までの日記がなぜブログ形式である必要があったかというと、(これインテグラルインテグラルの時にも書いたかもしれないが)進行形のプロジェクトについての証人が欲しかったから。自分がいつか口を封じられるかもしれない緊迫感の中でもあったし、結果がわかった後で意気込みを語るような「後出しじゃんけん」的な公表を避けたい思いもあった。
「ほれ、最初からわたし言ってたぢゃん、##年#月の時点で書いてたしょ?」という具合にね。

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さて、上述のごとく、「インテグラルインテグラル」以降、私の日々はどんどん正常化していった。学生生活も、研修医時代も、医師になってからも、それぞれの忙しさがあったし、もちろん何の困難もないわけではなかったけれど、日々充実していた(いる)。
数年前に結婚した現夫(仮称:白夫)は、あのDV元夫(仮称:黒夫)とは似ても似つかず、これまで地雷を選んで踏みながら生きてきたような自分にとっては、もったいないくらいの男性である。10歳以上年下の、どう控えめに見ても素敵すぎる白夫。その白夫と同居するために、私はかつて大学生活を過ごした「おとぎの国」に戻ってきた。

おとぎの国での、新しい師との出会い。
この師とは、新しい職場で偶然出会ったのだ。
出会った頃に師から聞いた言葉は「少なくともあなたがこのわたしを求めてここにやってきたわけではないということは知っています」と、まったくクッションのないコメントであったが、その後のやりとりで、短期間にたくさんのものを授けていただいている。
私は、これまでの道々で経験してきたことをつなげて、統合して、今まで気づかなかったことに気づいてしまった。いや、師との対話の中で気づかせていただいた。

私の問題は、DVの問題ではない。
その証拠に、黒夫のことは、遠い過去の思い出に落ち着いてしまっている。
黒夫は、自分にとっては必要な登場人物(役回り、というべきか)だった。いや、私がここまで来るためには、これまで私を縛っていた手枷足枷となるものを断ち切る必要があり、そのためには正しく失敗し、正しくスタートラインに立ち直す必要があった。
私は、必死で生きのばして、今、ここにいる。
 (若干気色悪い語調だ)

私は今でも「ふつうのお医者さん」になろうとして、その方法を模索中。医長という名札をつけているし、来月からは10年目の医師になるけれど、それは変わらない。
そこにこだわる理由も、ここ最近でやっと明確になった。
わたしの根底には、「ふつうのひと」への憧れがあり、そのことで、幼少時から孤軍奮闘し続けてきたのだった。


(つづく)

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